Win10クラッシュのリカバリー
セミナーから帰宅後、レジュメの作成を行おうと夜遅くPCを立ち上げた。出かける前に雷鳴が轟いていたので、用心のためにPCとWifiの電源を落としコードをコンセントから抜いておいた。普段と違う作業はそれだけだった。ブルー・スクリーン・エラー、エラーコード「BAD SYSTEM CONFIG INFO」とメッセージが表示され、やむなくトラブルシューティングに取りかかることになった。マイクロソフト社の自動修復プログラムは起動するものの、どのコマンドをクリックしても途中で修復エラーが頻出、最終的には初期化もできずお手上げになった。メーカーF社のPC診断では正常と出るのに、なぜか? Win8.1を10にバージョンアップしているのが原因なのだろうか?、それとも毎月一回10日過ぎにおこなれるWin自動アップデートのプログラムに不具合が生じているのだろうか?
日付が変わって明け方近くになっても解決策を見いだせず、半分以上諦めた。やれやれ、予期せぬ出費がかさむことになった。2015年3月に購入後もはや御陀仏かあ。しかしながらハードディスクのトラブルなら、診断が正常であるはずがない。最後の手段として、念のためにF社のトラブルシューティングにあるCドライブの初期化を試みることにした。必要最小限のデータファイルをDドライブへコピー、データ完全消去だけは防ぎたかった。なんと、結果オーライ、無事に工場出荷時の状態にCドライブを戻せた。もちろん機能はWin8.1へ逆戻りだ。それでも動いてくれたら、それに越したことはない。しかも立ち上がりが非常に早い、購入から6年間に各種プログラムが累積されてしまい、8.1のメモリーが、マイクロソフト社の推奨によりバージョンアップした10の負荷には耐え切れていなかったのだろう。
まあそのようなことで、必要最小限のプログラムの再インストールが必要ではあったものの、幸いにもシリアルナンバーなどは控えていたので事なきを得た。それにしても疲れ切った。しばらく静養しようと、ブログの更新はもちろん、フェイスブックも、メッセンジャーでの友人との対話も、レジュメの作成も、ほとんどすべてを一週間ほど先送りしてしまった。改めて考えてみるのだが、PCクラッシュへの対応は慎重を要する。気が短いとついつい諦めて、一足飛びに買い換えを考えたりもする。さまざまな要因があるのだろうが、M社の自動修復プログラムや初期化システムが機能せず、F社のプログラムでは初期化が可能だったのは何故なのだろうか? ぼくはもうこれ以上、PCトラブルに翻弄されたくない。ぼくにとってPCは単なるツール道具であってほしいのだ。サクサク動いてくれさえすれば、それでいいのだ!!
あすは愛犬の誕生日12歳(人間64歳)なのだが……
27日の日曜日は、長男(享年42)一周忌と僕の祖父(享年71)五十回忌の二つの法事があるために、その前日はゆっくり寝ておきたい。
と思って、初盆行事打合会から帰宅直後に、軀を一階の床に敷いた簡易マットに横たえていると、夜中の1時頃になって、いつものように愛犬ララの室内徘徊が始まった。二階のWベッドで愛犬ララを挟んだ川の字になって寝られなくなってから、もう半月ばかりになる。夜中に愛犬ララの嘔吐があると、ベッドやシーツが汚れ、その後始末に追われてしまうので、僕が愛犬ララとともに一階で寝ることにしたのだ。
もちろん嘔吐は夜中に限らない。計量カップ1杯分のドッグフードが適量だったのだが、最近は3分の2くらいの量でも吐くようになった。体重も6キログラムを切り、しだいに体力も落ちてきているように思われる。血液検査の数値にこそ目立った異常は認められないものの、心臓の薬と左目初期緑内障の目薬は欠かせない、それに加えて最近は足腰の踏ん張りまでが効かなくなってきている。食事をしていても、後ろ足がずるずる滑るように開いていくのだ。
ララの室内徘徊で眠れなくなった僕は、とうとう午前3時には眠い目をこすり起き上がり、コーヒーを飲んで、ずっとPCに向かっている。もしかするとララも、もうさほど長くは生きられないのかもしれない。愛する者を亡くすことの悲しみと苦しみは、身内であればあるほど辛いものである。それを昨年から今春までイヤというほど味わっただけに、またかという想いが脳裏をよぎる。ようやく心身の体調も回復してきたところに、今度はララかと思うと、またかと身につまされるものがある。
法然上人誕生寺参り
我が家は先祖代々にわたり、浄土宗知恩院派末寺の檀家である。戸数二百戸ばかりの在所にあるその末寺で、五重奏伝を受けてから今秋になればもう三年になる。夫婦そろって五日間の昼夜に及ぶ行に励み、浄土宗の偉い坊さまだと誉れの高い勧戒師さまから、禅定門と禅定尼の戒名を授かったのである。とはいうものの夫婦そろって、生来の精神的低レベルは被い隠しようがなく、極めてありがたい五重奏伝受戒であるはずなのに、その後の人生はといえば、悲しいことにそれまでとは何ら変わらない煩悩ばかり多き人生を送っている。まさしく馬鹿は死ぬまで治らないを地で行っている。死ぬまでには精神的レベルをもっと上げておきたいものである。死後の人生が存在するのか否か、昔、尋ねて行った天台宗比叡山延暦寺の高僧に「あの世があるのか無いのか、死んだときの記憶が無いから儂には分からん」と告げられて絶句したことがある。それは誠実かつ正直な告白だったと思うが、ただ「あの世があって欲しいと願っている」とも付け加えられた。その心は、「あの世があると思えば、悪事に染まりきった生涯を送らないように自制心がはたらく」ということだった。
法然上人誕生寺は、美作国久米郡にある。御縁があって、近日中にその近くまで新名神と中国自動車道を往来することになるのだが、「もう一度おいで」という宗祖のお導きかもしれないと考えている。南無阿弥陀仏。