IshiyamaTaichi’s diary

古希庵白翁のつぶやき

法然上人誕生寺参り

 我が家は先祖代々にわたり、浄土宗知恩院派末寺の檀家である。戸数二百戸ばかりの在所にあるその末寺で、五重奏伝を受けてから今秋になればもう三年になる。夫婦そろって五日間の昼夜に及ぶ行に励み、浄土宗の偉い坊さまだと誉れの高い勧戒師さまから、禅定門と禅定尼の戒名を授かったのである。とはいうものの夫婦そろって、生来の精神的低レベルは被い隠しようがなく、極めてありがたい五重奏伝受戒であるはずなのに、その後の人生はといえば、悲しいことにそれまでとは何ら変わらない煩悩ばかり多き人生を送っている。まさしく馬鹿は死ぬまで治らないを地で行っている。死ぬまでには精神的レベルをもっと上げておきたいものである。死後の人生が存在するのか否か、昔、尋ねて行った天台宗比叡山延暦寺の高僧に「あの世があるのか無いのか、死んだときの記憶が無いから儂には分からん」と告げられて絶句したことがある。それは誠実かつ正直な告白だったと思うが、ただ「あの世があって欲しいと願っている」とも付け加えられた。その心は、「あの世があると思えば、悪事に染まりきった生涯を送らないように自制心がはたらく」ということだった。

 法然上人誕生寺は、美作国久米郡にある。御縁があって、近日中にその近くまで新名神中国自動車道を往来することになるのだが、「もう一度おいで」という宗祖のお導きかもしれないと考えている。南無阿弥陀仏